ランチェスター戦略とは

販売の科学「ランチェスター戦略」の歴史

ランチェスター法則は、イギリスの航空工学のエンジニアであったF・W・ランチェスター(1868-1946)によって発表されました。
ランチェスターは航空機のプロペラの研究で有名だった人ですが、同時に陸、海、空の戦闘におけるそれぞれの損害量を研究し、特に空中戦における戦闘機数と損害量を定量的に検討することによって、ある法則を発見しました。こうして生まれたのがランチェスター法則だったのです。

その後、第2次世界大戦中、アメリカ軍の徴用により、コロンビア大学の数学教授であったB・O・クープマンを始めとする、アメリカ海軍作戦研究班のORチームの手によって、ランチェスター法則をさらに一歩進めたランチェスター戦略モデル式が作成されました。ランチェスター戦略モデル式は、後のORを生み出すきっかけになり、ランチェスターはORの始祖という名誉ある地位が与えられたのです。このランチェスター戦略は、大戦後期においてアメリカ軍の上陸作戦をはじめ各地の戦闘で活用され、多大な成功を収めました。

軍事戦略として展開したランチェスター戦略を企業の販売戦略として再構築したのが、我が国の田岡信夫です。
田岡は、高度成長期の日本にあって、はじめて科学的な販売戦略を日本企業に提唱しました。精力的な活動の結果、ランチェスター戦略は「競争の科学」「勝ち方のロジック」とも呼ばれるようになり、後のオイルショック以降の不況期においては、中小企業から大企業に至るまで広く導入・活用され多大な成果をあげました。
残念なことに田岡は1984年に57歳という若さで他界しましたが、ランチェスター戦略の精神と理論は今も色あせず、活き続けています。

いま、なぜランチェスター戦略なのか

田岡信夫は、その著書の中で、「成熟社会」の中でこそ、ランチェスター戦略が必要であると繰り返し説いています。1984年発行の「ビジネスマンの戦略的思考」(PHP研究所)の中では、当時の日本社会を成熟社会と位置づけ、「いままで経験したことのない、かつてない経済環境の中に入り込んでしまっている」と説明しています。
その頃の日本は、国際競争力では、常にトップに位置づけられる国でした。2004年、日本の国際競争力(IMDによる)は、23位となっています。失われた10年(いや20年かも知れません)は、田岡が看過したように、成長期に力を発揮した日本が、成熟期における構造転換にあえいだ20年であると言えるかも知れません。

成熟社会の特徴として、田岡は、ゼロサム社会であり「不可避的に進む二極分化」の社会と述べています。つまり、すべての企業(事業者)が、頑張れば成果を得られる社会ではなく、成果を獲得できるのは一握りの「勝者」だけであり、「敗者」には殆ど何も残らないゲーム型競争の社会です。しかも、IT革命を経つつある今日、勝者はたった一人、その他大勢はすべて敗者であると言っても過言ではありません。
限られたパイを大勢の人々が奪い合うゲーム型の競争では、がむしゃらに頑張るといった無規律的な活動や単にうまくいっている他者の真似をするだけといった安易な方法では勝ち残ることはできません。ゲームに勝つのは、そのゲームのルールを理解し(あるいはルールを自ら作り)、ルールに適応した活動をする者だけです。

ランチェスター戦略は、F・W・ランチェスターが発見した「ランチェスター法則」を元に、統計学的な根拠に基づいて、ビジネスのルールを把握することを指南します。ランチェスター戦略は、たった一人の「強者」とその他の「弱者」という概念を明確に打ち出しています。強者と弱者では、ビジネスにおいて、打つべき手が違うことを理解しなければなりません。それが有名な「強者の戦略」「弱者の戦略」です。

不透明な競争社会における勝ち方のセオリー、それがランチェスター戦略です。